人事を尽くして天命を待つ

人事を尽くして天命を待つ
この言葉が好きで、もしも座右の銘を聞かれたら間違いなく"人事を尽くして天命を待つ"って答えるだろうなと思う。
iPhoneで調べてみると「人としてできる限りのことを実行し、その結果は天の意思に任せる(スーパー大辞林)」と出てくる。天の意思と聞くと宗教的観念のようにも感じるけど、自分の感覚的にはちょっと違う。
自分が行ったことがシャボン玉のように膨らみ、飛んでいく。すぐ割れることもあれば、高く高く飛んでいくこともある。こんな感じに近い。
結果は誰にもわからないし、わかってほしくもない。だからこそ目の前だけを頑張りたいし、余計な期待はしたくないよな、と思う。
こういった考え方が前提にあるからこそ、自分は人に期待をしないようにしてる。
自分が誰かにお願いをする(伝えること)までは自分の領域で、伝えた相手がどうするかは自分の領域外というか、あれこれ考えたって仕方がないんじゃないかなって思う。
お願いが通らないこともあるし、気を利かしていろいろとやってくれることもある。
物事を誰かのせいにしている人は、きっと自分の領域内に他人まで入れてしまっているんだと思う。だからこそ、他の人が間違った時に思い通りにならなくて怒ってしまうんじゃないのかな。
"人事を尽くして天命を待つ"という考え方は、努力=結果を否定してくれる。そこが好きだ。
自分はどうも高校野球や熱いドラマが見れない。
どうにも努力は美しいみたいなことを押し付けてくるように感じてしまう。
努力することは素晴らしいと思う。そう思って自分もいろんなことに取り組んできた。努力をすれば確かに結果も出る。だけどかならず努力をすれば結果が出るってもんでもない。
努力をすれば結果出る。そう思ってしまうと、努力することに夢中になり、何のための努力かわからなくなってしまわないだろうか?
もっと、気楽に捉えてみればいい。ダメかもしれないけどやってみる。うまくいくかもしれないしやってみる。続けるのがしんどくなったらやめてみる。続かなかったらやめたらいい。


